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応援メッセージ

このような作品が作られ、
多くの人々の目に触れるべきだとの必要性を痛感しています。

―― 坂本龍一(音楽家)


ひとり一人の人生、ひとり一人のいのち。人間とは、生きるとは。
根源的なことがこの映画から鋭く迫ってきます。
わたしたちはここに登場する人たちと、決して無関係ではないし、無視して通り過ぎることはできない。
アジアの深い繋がりのなかで生きていることを、改めて突きつけられます。

―― 大石芳野(写真家)


想像を絶する光景である。まさにこの世の地獄だ。

スモーキーマウンテンに暮らしている者は、ここで生まれ、ここで死ぬ運命にある。
生と死の境界線など何もない。茫漠とした天と地の果てしない相克があるだけだ。
絶対の貧困があるだけだ。
この絶対の貧困は、権力による人為的な所産である。
権力に群がる恥知らずな連中に、私は激しい怒りを覚えずにはいられなかった。

—— 梁石日(作家・「闇の子供たち」)


この現実を目のあたりにしたとき、認識は行動へといざなう。

何ができるのか。もはや無関心ではいられない。

―― 有田芳生(ジャーナリスト・新党日本副代表)


ドキュメンタリーのビンテージ ----『BASURA バスーラ』を観て


『忘れられた子供たち』『神の子たち』に続く、ごみを拾って暮らす「スカベンジャー」の人たちを映した作品『BASURA バスーラ』を観て、どれだけ四ノ宮監督が悩んできたか分かる気がした。ドキュメンタリーとしては禁じ手である「支援」をしてしまっているのだ。実は『神の子たち』の最後にも、ほんの一部だが支援している。あれだけ苦しんでいる人たちを見て、何もせずにいられなかったのだろう。しかも20年に渡って同じ場所とつながり続けていたドキュメンタリーは、世界にも例を見ない。世界と言えば、Mike Davisという作家が、「Planet of Slums(スラムの惑星)」という本の中で四ノ宮監督のドキュメンタリーを資料映像として紹介している。“卓越した作品だ” と。

しかし今回の『BASURA バスーラ』はそれを超えている。四ノ宮監督自身が関わり続け、悩みぬいて変わっていった。それは「今回の映画は涙目で見ないでください、同情しないでください」という監督の注意書きからも読み取れる。一人の人間が与えられた環境の中を必死になって生きていく様は、無様でみっともなく、哀れで汚らしいものだろう。しかしその「生」を肯定してもらうのならいいが、間違っても同情されたくない。それは動物園の檻の外から見る視点と同じものだと思うからだ。「同情するぐらいなら、一緒に並んでごみを拾ってくれ」と思うのだ。

禁じ手である支援をすることになったのは、安易な援助などとは全く違う視点からだ。自分が同じスラムに暮らし、息をし、20年にわたる友人関係から、同じ目線の高さから始めている。それは神々しいほど荘厳な、人々の「生きよう」とする力に、同じ位置にいる人間としてせざるを得なくなったことなのだろう。だからかつて母親のためにごみを拾って暮らしていた少年のエモンが「自殺した」と聞いて、どうしても信じられなかったのだと思う。日本の “自殺” とは違うのだ。彼らの国では自殺はしないし、神に背くことなのだから普通はあり得ない。そこからエモンの移り住んだ履歴をたどっていく…。

痩せ、透徹した色の目になった監督に会って、すぐには誰だか分からなかった。『BASURA バスーラ』の価値は、ドキュメンタリーを超えて、人間のつながりの価値になった。こんな作品に出会えることはまずないだろう。20年というつながりの年月の重さが、まるでビンテージものの古い酒のように発酵して新たなジャンルを築いた。

―― 田中優(未来バンク事業組合理事長・文筆家)


持続する意思の力と感受性に、心からの共感と感謝をもって私は伝えたい。

「非力ながら、ほんとに無念なほど非力ながら、ここにあなたの仲間がいる」と。

―― 落合恵子(作家・子どもの本の専門店主宰)


腹が立つ!ムカつく!

子供たちの夢や希望を奪い取る腐敗したフィリピン政府。
どうにかせねば・・・
そんな正義感(感性)を奮い立たせてくれる『全く腹が立つ映画』だ。


―― ドン小西(ファッションデザイナー)


四ノ宮浩という生き方


これは「映画」なのだろうか? こんな「映画」は見たことがない。
貧困とごみの中で格闘する子どもたちや大人たち。
彼らの中に入ってともに生き、
警察に「殺された」であろう青年の死の「理由」を問い続け、
映画制作費の中からカネを出して貧しい人たちにクリスマスプレゼントを配り、
彼らのために仕事を作り、仕事をあっせんする。
これは「映画」などという生やさしいものではない。
映画には作意がある。
しかし、ここに作意は見えない。
その結果、図らずも、四ノ宮浩という人間の生き方そのものの記録となった。
四ノ宮の生き方が、私たちの目の前にこれでもか、これでもかと迫りながら、
日本にいる私たちの生き方を問うてくる。
フィリピンと出会った四ノ宮が、
ゴミ捨て場のスモーキーマウンテンに行きつき、
アフガンからイラクへ旅を続けてふたたびフィリピンに戻る、
彼自身の生き方そのものが導いた、必然の旅だったのだ、と私は気づく。
四ノ宮と出会ったのは15年前、『忘れられた子供たち スカベンジャー』の取材だった。
四ノ宮に言わせれば、フィリピンの光景は20年前と全く変わっていない。
しかし、彼はクリスティーナやエモンの一家の20年後の「その後」を追う。
幸せを求めてゴミ山を漁り、海を渡る。
そんな彼らとダブるのは、日本という非情な国家によって
つい最近、両親と引き離されたフィリピンの?女の姿だ。
被害者のいない密入国という犯罪、国の都合で国が作り出した犯罪だ。
貧しき者が幸せになる権利を否定することは許さない、
と四ノ宮は言葉で怒る代わりに、どこまでも彼らに寄り添う
自らの生き方で示している。
僕はいま、日本という国の北の端の、財政破綻した小さな町にいる。
国家から切り捨てられる町で、切り捨てられる人々ともに暮らしていると、
格差も差別も貧困も、よく見えてくる。
こんな小さな町にも、国境を超えて外国人たちが働きに来る。
そんな彼らと向き合うとき、ああ、僕は四ノ宮とつながっている、繋がらなければ、と確信する。
四ノ宮浩、『BASURA バスーラ』をありがとう。
あなたの映像では苦しみの海である、あのゴミの山さえ美しい。

―― 本田雅和(ジャーナリスト・朝日新聞記者)


『BASURA バスーラ』を観ている間のいたたまれなさが、
こんなにも理不尽で過酷な世界があることへなのか、時を同じくしている自分に対してなのか…。
けれども、子供達が笑う時、とても救われる思いがする。
可哀相だという涙ではなく、逞しい希望のような、感謝のような涙が出てしまう。
今回の作品では、現状を伝え映し出す事にとどまらず、未来を描くことへの問いかけを感じました。
物資に富める一見平和な世界も同時に存在する、両極の振り幅がある中で描く未来。
フィリピンの情勢が少しでも改善されていったとして、その先の未来。
こうして国境を超えて抱える世界の問題を考えていくと、「果たして人類は…」という問いに行き着いてしまう。
自分自身最悪の状況は想像できても、その逆は描きにくいということがあります。
それは人が成しうるあらゆる面に自分を重ね合わす事ができるからだと思う。
こうしてまた頭の中だけで収拾がつかなくなると、灯りを足下に戻してみる。

父の闘病をともにして、「家族のため」という力の大きさがより一層身にしみた。
家族、もしくは家族のような愛情がそこにあればどんなことがあっても生きられる気がした。
その事と、闘病中に知った 「悟りとは如何なる場合にも平気で死ぬことではなくて、如何なる場合にも平気で生きていること」という正岡子規の言葉が、作品の中の人々に重なった。

今後も監督の作品を見続けたいです。
本当に有難うございました。

―― 筑紫ゆうな(アーティスト)


この映画を見ていく中で 私の心に生まれた、なんで?っていう思いや 悲しさや寂しさ。

そんな気持ちが生まれることの意味を 今の自分の幸せを、私はもう一度ちゃんと感じなくちゃいけないんだと思いました。

誰がいけないとか、何がいけないとか、理由を探すんじゃなくて、この映画で世界に起こる真実を知ることができたから。
私は私のいる場所で、毎日を一生懸命生きていたい。
未来に夢を持ち続けて生きていたいと、この映画を見ていなかった昨日よりもずっと強く 私は思うようになりました。

―― HARUKA(Missing Link リードボーカル)


政府の腐敗・無能ぶりを語る周辺の人たちと対照的に、主人公たちが

被害者意識を全く感じさせないことに目が開かれる思いがしました。

それは単に、その日暮らしの大変さや、政治的な知識の欠如によるの
かもしれませんが、私の目には、愛する人たちのために心を全開に
していて、被害者意識など入り込む余地がないように見えました。
だから、あんな状況でも、むしろ濃厚な愛を感じながら、助け合い、
生き延びていけるのだと思います。
彼らはお金のことを話していますが、お金のために生きているのでは
ないことをはっきりとわかっているからです。

そして、「誰かが何かをやっていない」ことに目を向け非難する
のではなく、自分ができることを始めた監督をはじめとする
ボランティアの方たちに同じ愛の姿勢を感じました。

被害者意識、怒り、無力感を感じてもおかしくない内容でありながら、
鑑賞後にそのような気持ちを一切残さない、不思議な映画です。

―― 水島広子(精神科医・元衆議院議員)


私は、事実が好きというより、人知で加工されたものはあまり好きではないのです。

「自然の方が、まだ人知より偉大だ」と思えて仕方がないからです。
このような私が注目している映画監督が四ノ宮浩さんなのです。

―― 船井幸雄


『忘れられた子供たち スカベンジャー』『神の子たち』『BASURA バスーラ』三部作は、
映画の category を遥かに超えたポリティカルムーブメントです。
世界の富める人々につきつけられた大問題です。
その大問題を、四ノ宮監督は、一歩づつ、一つづつ、
しっかりと解決の糸口を提示し、解決し、価値ある創造を積み上げています。
が!余りにも問題が大きすぎる!
だからといって目をつぶり耳をふさぎ口をとざすわけにはいきませんよね!
そこに立ちはだかる政治的・経済的・社会的・宗教的大問題。

「魚を与えるのではなく、魚の捕り方を教える」これが私の人生・人間経営哲学です。
この人類的問題をみんなで智慧をだし〈愛〉行動していきましょう。

これだけの大偉業を為し遂げた四ノ宮監督!
これからも〈明元素〉メイゲンソ・明るく 元気で 素直で 素敵
〈楽喜健〉ラッキーケン・楽しく 喜んで 健康で
〈使充爽〉シジュウソウ・使命感 充実感 爽快感
を持って、人生に仕事にチャレンジしつづけて下さい。
世界の子ども達、とりわけ、フィリピンの子ども達は、四ノ宮監督を太陽とも神とも、
そしてなによりも頼りになる父と想っていますよ!

―― 清水英雄(ヒューマンウェア研究所・所長)